ReefML偲ぶ会

那須高原の工事を終え、翌日AMA-JAPANの関東営業所のミーティングの為に埼玉に宿泊する予定で浦和に降り立った私に電話が入る。電話の主は岡田雄次さんだ。10年前の事だがベルリンシステムが普及するきっかけになったインターネットのメーリングリストにReefMLというのがあった。当事のメンバーにはそうそうたる人がいた。そして、今以上に熱い時代ベルリンの幕開けでそのMLの呼びかけで
初めて、THE REEF AQUARIUM の著者であるJ.Charles Delbeek氏が来日し湯島の水野薬局で講演会を開き鎖国が解かれたのであった。
みんなまだ若い
その頃の海水魚業界は、フルドライシステムが先端であった。ReefMLの主催者である水野さんがこんなサンゴの飼育法が有ると某雑誌に投稿すると変人扱いされた時代である。

そのメーリングリストの中で出来た商品がSKドーサーというカルクワッサーの添加装置である。カルシウムリアクターが高嶺の花だった当事のカルシウムの添加とリン酸の除去の為に水酸化カルシウム飽和液を簡単に添加するために考案され、当時のホビースト達に絶大な人気商品になり、ワイキキ水族館でも使われています。この商品は、磯採集愛好家の浜野さんと松本幸男さんが共同で製作していました。 岡田さんの電話はその考案者の一人である松本さんの訃報であった。CPファーム阿出川さんにつぐ訃報を浦和で知り、ホテルをキャンセルして麻布の彼の会社に向かう。
当時の仲間の岡田雄次さんから電話を頂き、松本さんが今年の3月29日にお亡くなりになった事を聞きました。岡田さんも6月に、彼のことが気になり様子を伺いに訪問したが留守であったので置手紙をして帰られたそうだが後日、留守宅の片付けに来たお姉さんが手紙を見つけ7月1日に連絡が来たそうで、その日は奇しくも彼のお誕生日であった。偶々が重なり懐かしくなり、岡田さん、とペンギン10何号?(岡田さんの彼女の事で彼は6月になると結婚したくなる)水野さんと4人で偲ぶ会を行なった。告別式は身内だけで行なわれたみたいで、当時のメンバーは誰も知らされていなかった。浜野さんも知らなかったみたいでとても驚いていた。皆で偲ぶ会をしよう。マイクロバスで乗り込もうなどと大掛かりな話になった。松本さんは大阪でやったベルリンシステムレクチャーにも来てくれた。ちょっとハルクホーガンに似ていたがとてもシャイな人だった。彼がDivingライセンスを取ったのは串本で夏休みに20数人で
別荘を借り切り、臨海学校みたいなのりで大騒ぎしていた。
確かエイジくんゆーぞーさんも一緒にしたんだなんて思い出話しが尽きない夜でした。その後水野さん、岡田さんの誘いで104.COM現在はユービットというベンチャービジネスを立ち上げ、最後まで夢を追っていた。沖縄に移住した田中稔さんも設立時のメンバーであった。

<< 2007年07月08日 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
presented by blueharborホームページへ